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糸の導くほうへ
長田堅二郎~寄田茜~後藤宙

 feat. NTOGNによる〈音の糸〉
2015年10月30日(金)~ 11月1日(日)
オープニングレセプション:2015年10月30日(金)、17:00 – 20:00

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作家詳細:  寄田茜 | NTOGN
糸で作られたオブジェ(それをオブジェと呼ぶことができるのならば、あるいは糸が構成するものに対してたやすく「作られた」という言葉を与えることができるのであれば)、それをアートにカテゴライズするにはどうすればよいでしょうか。それは当然「絵画」ではありえません。しかし、カンヴァスは他でもなく麻の糸によって作られているのはもとより、ルネサンスに始まる絵画の遠近法——すなわち空間それ自体——は糸によって創造され、さらにめまいの時代であるバロックに至ると、糸は想像的によじれ始めました。したがって糸と(アウト)ラインの関係性に言及するにあたっては、否応なく形象全般に言及せざるをえないのです。
非物質的性質(引き伸ばされたコードの形状以上に物質からかけ離れたものがあるでしょうか)と反表象的なスタンス(糸は、「顔」がないという点において大多数の物と異なっています)は、糸を彫刻からも引き離します。しかし同時に糸は彫刻の主要なツールのひとつであることも事実であり、他のどの素材よりも可塑性を備えています(糸が「可塑性」そのものであり、それはもつれさせることができるほどの可塑性なのです)。そして、非常な独自性と緊張感をもって空間と対話(それは空間を掴むだけでなく、吸い込み、下線を引き、貫通させます)します。
糸は常に、ここ、美術の歴史に絶え間なくあるにもかかわらず、見えることなく、気付かれもしない存在になっているような印象を受けます。まるで糸は美術の死角にあるかのように。極端にミニマルな特質(無を前にしたステップのような…、糸よりもつつましやかなものがあるでしょうか)や常に手段、テクニック、応用へ向けられるという側面(必ず存在しているにも関わらずアートが完成した途端に引き抜かれる様子は、建物が竣工すると取り外される工事の足場を想起させます)から、糸がアートの真の一部に据えられることはありませんでした。現在のコンテンポラリーアートの領域においてでさえ、糸はビエンナーレやアートフェアのエントランス付近の(批評的重量よりも、観客を軽く驚かせることに重点がおかれている)インスタレーション、あるいは建築家のスタジオから「二次的な補足材料」として取り出されるものにとどまっています。今でも、糸は不明瞭なところから伸びてきて、ファインアートの弁別的なディスクールに抵抗を与えるものなのです。
このような現状に対する反応として、Frantic Galleryではヴィジュアルアーツの作家たちと一名のミュージシャンを招いて各々の「糸」を表現してもらうことにします。それは、アートのなかで糸という現象が本来どのような意義や可能性を持っていて、実際にどんな役割を果たすのか、そして多様な人類学的な領域と糸がどのようにして繋がるのか——を照らし出そうという試みです。「糸の導くほうへ」展には形式的なリミットがありません。むしろ形式の型に逆らって、糸のベクトルを探求しそれぞれの作家が糸に導かれて得た思考を辿り、素材として、また「最終的な対象」としての糸が指し示す無数の方向線を発見するにまで、糸の無意識の働きを暴露することを目的としています。
糸はわたしたちを神話の世界へと導きます。あるときにはアリアドネが迷宮からテセウスを救い出す救済の道具となり、またあるときには蜘蛛の巣、すなわち女性性/母性の象徴、心理学な罠ともなりうるのです。糸はすでに述べたカンヴァスをはじめ、蚕が吐き出す糸から作られるシルクやタペストリー、カーペットといったアートの基礎に織り込まれている物体であり、空間と特殊な関係性を築き、絡み合う光と闇を相互に強く作用させ合う能力を持っています。糸は——脅かすという作用を決して失わないまま、サディズム/マゾヒズムの緊縛やBDSMの文化全体との静かな近親性を保っています。糸は静脈と神経としてわたしたちの体を貫通します。そして無数の慣用的表現に織り込まれ、わたしたちの言語をもつれさながら、いつでもわたしたちの会話に居座っているのです。これらはスタートするためのいつくかの方向を示しています。道中でリスクや不運に見舞われる可能性があるとしても、望ましい到達点を設定するなどということはせずに進みましょう。糸の導くほうへ。
Kenjiro Nagata, Between, cotton threads, variable size, 2015
通常、立体作品である彫刻はその表面を頼りにかたちとして成立しています。しかし、長田堅二郎の作品(たとえば「Between」)においては、両側の壁から伸びる刺繍糸が円柱として認識されるものの、その表面を見ようとしても糸と糸の隙間から奥の糸が目に入ってきます。また、光のあたり方によっては白色の壁面や陰影にとけ込んでしまいます。表面と構造に独特な方法では働きかけることで「外」と「内」が複雑に交錯し、長田の作品は「“みていること、みえていること”は常に一定ではない。それはこの作品以外の全ての事物にもいえることではないだろうか」といった思いを駆り立てます。彼の「Derivation」(派生)シリーズには輪郭線も、はっきりした境界線もありません。静脈しかない身体、水道しかない土、根しかない木のように・・・「ぼんやりとしながらも、たしかにある」長田の彫刻は、“存在する”ことを改めて感じるよう求めるのです。
Kenjiro Nagata, Derivation -draw the circle-, stainless steel, 55x55cm, 2012
Akane Yorita, The Tender Noise, rayon threads, plastic pole, stainless steel pipe, H110xW300xD280, 2014

寄田茜の作品は、風や接触によって揺れ動く形や、糸の前後関係が倒錯するような視覚効果によって鑑賞者自身の知覚の弱点、または微妙さを認識するきっかけを作り出します。彼女は展示空間に形体や輪郭が限定されない造形を設置することで、鑑賞者のイメージを介入させるための余白(限定された意味を持たない場所)を構成します。
 
Akane Yorita, The Form as Filter, rayon threads, tracing paper, H230xW350xD300, 2013
Kanata Goto, Night -III-, metal, nylon threads, H176×W86×D86cm, 2015
後藤宙の作品はなにかしらの部族を喚起させるような雰囲気を纏っています。けれども、その一方で未来的な想像力とも調和するという、一見矛盾するかのような特性を持ち合わせています。そこでは幾何学性と建築性がアグレッシブな色彩と触覚に絡み付いています。彼の作品はインスタレーションでも彫刻でもなく、ジャンルとスタイルを乗り越えてコンテンポラリーアートに欲望の「トーテムとタブー」という次元を持ち込み、無意識的な「崇拝」の引き金を引きます。こうして後藤は有史以前の過去とSF的未来を結びつけ、一方ではディープな未認識の欲望を、また一方では法と秩序というものを弄ぶかのようにして時代と時代をぶつけ合うのです。
Kanata Goto, Scrap Work No.36, metal, nylon and cotton threads on leather, wood, 38.5×73.5×1cm, 2015
テクノをフィールドとするミュージシャンを招いて音楽的な次元の「糸」の作成を依頼することで生まれる意味とは、なによりもまずオーディエンスに対してあらゆる音楽の中でテクノこそが継続性と、反復/連続/連鎖に基づいており、「今」よりも「前後」(来る/戻る/成り立つものと、消える/覆われる/変更されるもの間の緊張感)がリスナーとアーティストの対話を決定付けるのだと喚起させることです。両者の間で展開される聴覚的な構造は抽象的で透き通っています。そう、糸で作られるインスタレーションのように。そこにはメッセージも、叙情も、「雰囲気」さえもなく、しかし欲望を孕んだ構造があるのです。たとえば何かを予見するリスナーがいる一方で、DJは無限の意外性、置き換え、遅れとの終わりのないゲームを繰り広げている、というように。この仕組みにおいて、テクノトラック(Techno Track)は糸(Thread)で構成された視覚美術と類似しているのです。
スウェーデン出身のDJ、プロデューサーであるNTOGNが作り出す音楽と「糸の導くほうへ」の作家たちの間にはさら強力な関係性があります。「audio-derivations」を制作し、いわゆる「マシーン・ミュージック」の領域で活動するなかで、NTOGNは軸を破壊し、脱中心的な構造を探求しています。糸の作品に似て、彼のビートは光と闇の両方を絡ませながら巨大な空間を巻きこみます。そこでは輪郭線も背景も固定されていません。リスナーが、自分は今底にいる、これが低音の限界だと確信するや否や、NTOGNは予期せぬ方向からより深い音を繰り出して聴く主体を驚嘆させ、彼らの想定する底を蹴散らしてみせるのです。いいかえれば、NTOGNを聴く場合、「9層の波」が行き過ぎようやく空気を吸えるのだろうか、それともまだ予想もつかないところから「9層の波」がやってくるのだろうか…という不安から逃れるのは不可能だということです。
結局、他のどんなDJよりも、NTOGNの音楽が目指す音楽の彼岸は明確です。彼は神秘的であり原始的な——忘れられた、あるはまだ見つけられていない——「バスとビート」の可能性を追求しながら、催眠術をもった蛇のようなテクノの糸の中に神聖な儀式から煙を吐き出し、儀礼的な神秘主義を注入するのです。
NTOGN, work in progress: audio spectrum analyzing the frequencies in real time
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Frantic Gallery
Ikejiri Institute of Design 309,
2-4-5 Ikejiri, Setagaya,
Tokyo, Japan 154-0001


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