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イジョウのリアル

展覧会タイトル:Extra Real イジョウのリアル
参加作家:佐藤誠高と毛利太祐

会期:2009年10月28日(水)〜11月3日(火・祝)
会場:スパイラルガーデン(スパイラル1F) 入場無料
時間:11:00〜20:00
イベント:10月28日(水)20:00〜22:00、までプレス内覧会とオープニングレセプションを行います。

二人の若い日本人アーティスト、佐藤成高と毛利太祐の二人の人生において、決断は特別なものだった。彼らの決断は現実を賭けるということだった。

佐藤成高は台北での展覧会後、彼のアーティストの友人達と共にいてもどこか上の空だった。彼はどのように自分の絵画を絵画として見せる方法を模索していた。彼の作品は、細部にまで気が配られた、精密な模倣としての主に鉛筆で描かれたものだが、それは全ての観客が考えたようにモノクロ写真ではなく、絵画なのだ。何人かの友人は彼に「絵のてっぺんに『これは写真だ』と書けばいい。」などという挑発やコンセプチュアルアートへの道を薦め、もう一方は「鉛筆の線から離れるか、描いたものの一部に水を流すのはどうだ。」など、彼をタシスム表現や抽象表現に引き込もうとした。しかし、佐藤はこれらの彼にとって妥協するに値しないと感じられる助言を拒み、頑固として『汚点ない模倣』を貫いた。

ほぼ同時期、東京藝術大学、工芸科において金属や木材、漆などの異なる技法に挑戦した毛利太祐は、彼の初となる色鉛筆によるドローイングの展示を行い、あまりにも高い技術力を持つデビューとして、ショックを引き起こしていた。(描かれた横たわる女の子の半透明の爪の下にはかすかな汚れが透けて見えた。彼女の血管、動脈、腱は観客を肉体の深みに引き込んだ。彼女の若い皺は眠れる美女の「皮膚のカーペット」を構成していた。彼女は完璧…いや、完璧以上だったのだ。)それにもかかわらず、毛利の批評家である友人は、中身のない「コピー技術」はアーティストを機械にするだけであり、観客の驚きはその「機械」を「アミューズメント装置」にしてしまう。その他の何にも導かないと警告した。毛利はこの表現をやめるか、もしくは根本的に変えるようアドバイスを受けたが、それを拒否し、頑なに「メカニカルな模写」を続けた。

佐藤成高と毛利太祐の二人は彼らが受けた助言に対し後ろを向き、自分達の道を進んだが、「現実的なイメージ」と「写実的な表現方法」をさらに深める中で何かが起こった。事実、「模倣」や「模写」、「コピー技術」というものは保たれたが、彼らの作品の「リアリズム」はどういうわけか砕けたのだ。佐藤と毛利は既存の物のみについて表現し、写実主義的な技術以外の何も応用しなかったが、彼らの作品はついにどんな既存の実体にも打ち勝った。これはまるで、模倣という進路から彼らを純粋なフィクションに引き込むという試みの後、彼らが再び「現実」に戻って行ったようであるが、彼らはこの相反する動きの先へ到達してしまっていた。彼らの強固な綿密さは「現実を飛び越え」、「自然を越え」、ついに彼らは自分自身を「リアリティ以上」の中に見出した。そこは提示するリアリティ自体が現実的であり、それを過剰に提示する場である。言い換えるならば、そのリアリティのエクストラの場なのだ。(私は未だに「リアルすぎて気持ち悪い」と毛利の「顔」のみを描いた作品の前で言った観客の声をはっきりと覚えている。そして、佐藤の、「赤ん坊」以外のなにものでもないものを描いた絵画の目の前で、顔をしかめ、たじろぎ、ショックを表しながら不安な様子で作品に見入るコレクターを今でもはっきりと覚えている。)

単純なコピーの機械になるリスクを伴うにも関わらず、佐藤と毛利が反模倣的テクニックに対して首を振ってからすぐ、彼らは模倣をオリジナル/モデルとのつながりが失われるところまで持ち上げ、この二人のアーティストはすぐに、多数の伝統、認識学問的問題、文化人類学的現象の分かれ道に入った。ここまで、様々なことが入り組み、混乱しやすくなるので―もちろん、我々は現実について、そして、その表現されたものについて話している―それをリストにしてみるとしよう。

  1. 「それはもう、制約される必要のある神話ではない。それは怯えさせなければならない表徴である。問題は発声、特色、物語の(潜在する)意味を明らかにすることではなく、まさに意味の表現を裂くことで、それは表徴の変化、又は浄化でなく、表徴的な物自体に挑むことである」(ロラン・バルト;1971年)これは、佐藤と毛利の作品を表現論と結びつけると、まさに二人の挑戦を構成するものである。彼ら二人の芸術的活動は、視覚的シンボルの想像上の「深み」の次元やどこかその裏側ではなく、可視の身体のより表面で起こっている。彼らは参照や記号化でプレーしないが、過度の詳細か、描かれたもの圧倒的な不自然さのどちらかと「意味の表現を裂くこと」においてプレーするのだ。
  2. ロラン・バルトによる先に述べた引用は、それはゴットフリード・ベルンヴァインとフォトリアリストであるマルコム・モーリーとの区別の分析から始まる。ピーター・セルズによる“The Artist as Provocateur”「挑発者としてのアーティスト」の記事の題字としてゴットフリート・ベルンヴァインのカタログに出てくるものだ。このつながりは佐藤と毛利の二人と、美術史との関係の問題というさらなる議論を引き起こす。佐藤と毛利は先に言及した芸術運動の「外」に(歴史的には)位置するが、19世紀におけるロシアのリアリズムである自然主義絵画などと同様に、フォトリアリズム(60年代〜70年代)やハイパーリアリズム(90年代)と関連して彼らは自身の立場を明確にしており、これは分析に値する事柄だろう。彼らが取り組む、模倣と挑発の関係(ベルンヴァインに戻るが)という議論や、現実的な写真の創造において、自然を越えたアーティストの「カルト効果」と、「ゴーレム」や「フランケンシュタイン」などの創造に見られるような神話学的分野などのより広い分析へと導く。
  3. 「それは怯えさせなければならない表徴である。」と、「表徴の帝国」の著者は語り、我々を日本の美的な伝統の世界へ導いた。先に言及した佐藤と毛利の「コピーする意志」、「模造の道」を保つという彼らの意思は、逆説的に彼らの表現の「個人性」を減らすものではなく、日本の美術の創造という現象に我々を導いてくれるものだ。フォトリアリズムの参照と同じように、この二人のアーティストの分析を続けると我々は(師の作品の)「写し/コピーの過程」、主に(絵画や書道における)アーティストになる方法という日本文化とのつながりを用いることができる。
  4. 次に、我々は再度「アーティストの選択」の意義について強調すべきであろうだろう。その選択は、勿論、実存的であり、概念的であるが、同時に単純に教育的なものである。事実、日本には非常にたくさんの、高度な描写技術を持った若いアーティストが存在する。それ以上に几帳面さや正確さと、「コピーする才能」は美術のみでなく、日本文化全体に共通するある特徴であることはよく知られている。写実的絵画を提示する日本の若いアーティストは、遅かれ早かれ「写実的な正確さ」では充分ではないということを理解する。彼らは大抵、作品の「内容」の欠如を指摘されるのだ。調査では、この「内容」のため、彼らは、例えば神話的なモチーフを参照したり、大衆的なキャラクターを描くなどというフィクションに走りこむ。ここで重要なのは、佐藤と毛利は彼らの作品におけるその価値(「内容」)を、すでに現実にあるものの範囲内で、シンプルなリアリズムを越えることができ、現実に属さないものを提示できたという点にある。もし、我々が(少しの間)現実に属さないものの全てを「フィクション」だと定義づけるとすれば、佐藤と毛利の作品はフィクションの力を持つ「写実的な絵画」と言えるであろう。言い換えるならば、佐藤と毛利は「明瞭な神話」に進路変更したアーティストと関係上、正反対の方向へ進み、現実と不在の両方の表現上の問題をさらに深め、提起することができたのだ。これが、彼らをケースモデルとし、より広い注目に値する理由となる。

佐藤誠高

1980
Born in Aichi
2008
Received master degree at Tokyo Art University.

Awards

2007
8th SICF, Gran Prix prize, Spiral, Tokyo

Solo Exhibition

2009
“Transplant Baby. The Synthetic Toys in Art of Naritaka Satoh” Exhibition, frantic gallery, Tokyo
2007
8th SICF, Gran Prix Exhibition, “Neutral Grey”, Spiral, Tokyo

Group Exhibition

2009
10th SICF, Anniversary Gran Prix Artist Exh,”00-08” Spiral, Tokyo
2008
“Artist Show,” Group Exhibition, art project frantic, Tokyo
2008
Graduation Works Exhibition, Tokyo Art University Museum, Tokyo
2008
9th SICF, Gran Prix Group Exhibition, Spiral, Tokyo
2007
8th SICF, Spiral, Tokyo
2006
Graduation Works Exhibition, Tokyo Art University Museum, Tokyo
2002
GEISAI 2, Big Sight, Tokyo

毛利太祐

1983
Born in Sapporo, Hokaido
2009
Tokyo Art University, B.A. Industrial Arts

Awards

2008
"Fujino Prize”, Fujino Kinzoku Co.

Group Exhibition

2009
“Archives”, Shinwa Art Museum, Tokyo
2009
“Graduated Works Exhibition of Tokyo Art University”, Tokyo Metropolitan Museum of Art, Tokyo
2008
“stop by art”, Ueno Station Gallery, Tokyo
2008
“Vessels” Exhibition, Nihonbashi Mitsukoshi Department, Art Square, Tokyo
2006
“plug”, LE DECO, Tokyo